昨夜寝る前にベッドの中で以下の記事を読んでました。

「好き」を仕事にすることは、いいのか、悪いのか | Tribal Marketing ❤ ikedanoriyuki.jp

タイトルが既に私がここ最近で最も関心があるテーマでした。すごくいい記事でTwitterでも紹介させてもらったのですが、この記事を読んで感じたことを書いてみます。

「好き」を仕事にすると何故批判されてしまうのか?

社会という世界において「好き」「楽しい」「自由」などに代表されるキーワードは未だにNGワードのように扱われる風潮があるように感じています。

最近はスタートアップ起業であったり、クラウドソーシングやノマドワーカーというような新しい働き方が認知されているようにも思いますが、それはまだまだごく一部の人の中での話題であり、「俺は自由に生きたいんだ!」とか言ってると社会からは簡単につまみ出されてしまいます。

日本には「長いものには巻かれろ」ということわざがあるように、強い勢力に逆らってはいけない。逆らうのであればそれは反抗勢力と見なされ、攻撃されてしまいます。みんなそれをわかっているので、「個」を出すことを内に隠し、周りの様子を伺いながら自分の立ち位置を決めているのがほとんどじゃないでしょうか。もちろん私自身にもその傾向はあります。

なぜ、「好き」や「楽しい」は受け入れられないのか。

私なりの解釈ですが、「好き」や「楽しい」という言葉は無責任を表す言葉のように受け取られるからだと思います。

例えば子供のころ、学校の宿題をやらなければいけないのに「好き」なTVゲームに没頭していると親に怒られました。それは何故かというと「やらなければいけない」ことは自分の興味関心とは違い、興味関心があることは「やらなければいけない」こととは無関係であったからです。

(※ちなみに私自身は不登校児だったため、親からこのように言われたことが一度もありません。あくまでイメージです。)

私たちは子供のころから社会に適合するためにこのような教育を受けてきました。だから大人になっても「好き」とか「楽しい」とか言っているとダメ人間というカテゴリーに振り分けられてしまうのです。

親の教育が間違っていたわけではありません。だって親も子供のときにそのように教育されてきたのだから。

でも子供の頃と大人になった今とでは状況が大きく異なります。

それは「生きているだけで責任が伴う」という状況です。

生きることは多くの人と関与しながら、影響を受け、影響を与えながら生きていきます。人に影響を与えることが即ち人の役に立つことで、仕事に置き換えるとその対価としてお金を受け取ることができるのです。

人の役にたつためには、自分が持っている個性や考え方を思いっきり出せる環境の方が能率がいいはずですし、その人が持っているポテンシャルを引き出すことができるのではないでしょうか。

能力が高いとか低いとか、そんなことは「自分も何かやりたい!」という気持ちがあることが前提であとから考えることのような気がします。

好きなことの努力は辛いものではないですが、好きではないことを努力することは辛いものです。この違いだけでも成長するスピードは何倍も変わってきます。

努力が辛くない → 早く成長する → 人に喜ばれる → もっと楽しくなってもっと努力する

こんな最高のロジックができあがるのです。

仕事をすること = 生活すること(収入のため)になっている

価値観は人それぞれであり、生活のために仕事をするという考え方を私ごときが云々言うことはできないのですが、でも本当にそれでいいのか、ってことは常々自分自身に対する問いかけも含め考えています。

いや、決して間違いではないんですよ。収入がなければご飯食べていくことができませんし、家族を守ることもできません。人のために生きたいんだ!とか言っててもその力も薄まり結果、キレイゴト言って現実逃避しているやつになってしまいます。

しかし、それを言い訳に「俺は嫌だけど、生活のためにこの仕事続けているんだ」という意見には真っ向から向き合っていきたいと思っています。

上記で挙げさせていただいた記事から引用させていただくと、

イチローは、仕事の前日、「明日も仕事だ」と考えているだろうか。心から野球が好きで、最高の舞台で、最高のプレーをする。そのために、毎日毎日愚直に努力をする。以上、なのだ。これほどシンプルで幸せなことはない。

人生は一回っきり。好きでもおもしろくもない仕事に毎日8時間も10時間も浪費し、週末がくることだけを心の支えに生きるなんてまっぴらごめんだ。「好き」を仕事にしよう。「好き」だから続けられる。続くからできるようになる。できるようになるからもっと「好き」になる。あとは、あなたの選択次第である。

とあるように、私もこの意見に同意です。

嫌々やり続ける仕事に、自分が持てる力を発揮して会社や社会に貢献することができるのだろうか?

仕事って、本当はもっと楽しいコトだと思う。

そりゃ責任や義務が生じると辛かったり苦しかったりすることも多々あるけれども、その瞬間だけにフォーカスしなければ、良いことも悪いことも仕事を通じていろんな経験値を積み上げさせてもらうことができる。そしてその経験を活かして自分なりにアウトプットすると、もしかしたら人の役に立つことができるかもしれない。

まずは「どうせ俺なんて・・・」っていう思考を外してみる

僕はとても弱い人間です。自分でもときどき嫌になるほど、小さな人間です。

人と争うことから目を背けたくなることもしょっちゅうですし、よくよく考えてみれば「逃げてばかりの人生だったな〜」とたまに自分自身を悲観することもよくあります。

でも終わりがあることが初めからわかっているこの世に生まれてきたのは、何か自分に役割があるからじゃないか?と心の底から信じています。(オカルトチックな話ですが、、)

ただ安全な道を選んで、辛いことは愚痴を垂れ流しながら生きていくだけって本当に寂しいことじゃないですか。

さいごに

私の周りにいる人にも収入や労働条件で仕事を決めている人は多くいますが、そんな話を聞くとどうしても寂しい気持ちになってしまいます。

「自分が持っている能力をどの仕事であれば人のために活かすことができ、自分を楽しいと感じさせることができるのか」っていうことを考える思考をもって仕事を選んでもいいんじゃないか。

そんな人を1人でも増やしながら、「人に喜んでもらう喜び」に仕事を通してたくさん触れる会社をやりたいと思って、私の場合は起業することを決意しました。

どうやってやるかとかの方法論、テクニック論は走りながら考えます。

今、国も大きな問題を抱えて世の中大変なことになっていますが、政治を批判する前に、まずは自分自信が小さな一歩、小さな変化に勇気を持って挑む人が増えることで、少しずつ日本にも勢いはついていくのではないか。政治も社会もトップダウンを待つのではなくボトムアップ、僕らのような小さな力が少しずつそんなことを感じています。

投稿者プロフィール

山田 浩太
山田 浩太つくる合同会社 代表社員
2015年5月につくる合同会社を創業しました。
WEBマーケティングとかダイレクトマーケティングには常にアンテナ張ってるマーケティングオタクです。